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610&hari

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【 ちづる山南さんから字を習う 】





穏やかな昼下がり。
「山南さんこんにちは!」
洗濯物を取り込む千鶴の手伝いをしていたちづる。そんな二人のいる中庭に、山南がふらりと現れた。

「こんにちは。雪村君のお手伝いですか?」
「はい!」
「今日は皆それぞれ用事があったみたいなんです……」
受け取った着物をカゴの中に入れているちづるに聞こえないよう     千鶴は小さな声で事情を話す。

「山南さん、何かお手伝い出来る事ありませんか?」
普段千鶴が言っているのを傍で聞いて覚えたのか。キラキラと瞳を輝かせながら、ちづるは山南の顔を真っ直ぐ見上げる。
「そうですね……雪村君、源さんは今どこに?」
「井上さんでしたら勝手場にいらっしゃるかと……」
それは好都合。
山南は膝を折ってちづるに目の高さを合わせると、優しくニッコリ微笑んだ。

「勝手場にいる源さんにお茶を淹れてもらって、私の部屋まで運んでいただけますか?」
「はい!」
「あの、山南さん……」
小さい彼女に熱いお茶を運ばせるのは危ない。
お茶なら後で自分が持っていくと言いかけた千鶴を、山南はそっと目で制す。

「大きい湯呑みにとても温いお茶を少しだけ……ちゃんと源さんに言えますか?」
「はい。大きい湯呑みにぬるーいお茶をちょっとだけ」
「私は部屋にいますから気をつけて持ってきてくださいね」
「はい!」
「山南さんありがとうございます」
小さく頭を下げる千鶴に頷いてみせると、山南は自分の部屋に戻っていった。


◇◆◇


「失礼しまーす!」
失礼しますと言いつつ両手が塞がっていて襖が開けられないちづる。山南は苦笑いを零しながらそっと襖を開けてやる。
「ありがとうございます。喉が渇いていたので助かりました」
ちづるはニコニコ笑いながら、すんすんと鼻をうごめかした。
松本医院の薬ともまた違う独特なこの匂いは何だろう     匂いのもとを辿っていたちづるの目が、山南の背後にある文机で留まった。

たくさん文字の書かれた紙、筆、硯    
「書いてみますか?」
隊士達の仕事の邪魔をしてはいけないという松本の言いつけを守って部屋を出て行こうとするちづるを、山南が柔らかい声音で引き止めた。
「心を落ち着けて筆を取るというのはなかなか面白いものですよ」
そう言いながら空いている箱を文机の横にひっくり返し、その上に紙を置いてやる。
「……ここにいたら邪魔になりませんか?」
「大丈夫ですよ。私が字を教えてあげますから夕食までに書いて、皆さんをびっくりさせるというのはどうですか?」
「……はい!」
ここを出ても独りで過ごさなければならないちづるは、嬉しそうに空き箱の前に腰を下ろした。

「いいですか?墨を着物につけない事。洗ってもなかなか落ちないので気をつけて下さい」
「はい!」
山南に教わりながら、ちづるはぎこちない手つきでキコキコと墨をすっていく。
そんな単純作業でも楽しそうに笑うちづるを見ていた山南は、彼女の袖が汚れないようどこかで見つけてきた紐をたすき掛けにしてやった。

「最初は斎藤君の名前を書いてみましょう。まず私がお手本を書きますから見ていて下さい」
ちづるがじっと見ている前で、山南は紙に筆を走らせる。
「では、今私が書いたものと同じ文字を書いてみて下さい」
「はい!」
筆にたっぷり墨をつけて、ちづるは大きく紙いっぱいに書き上げた。
「出来ました!」
「良く書けていますよ。これが斎藤君の下の名前です。……玄関の方が騒がしいですね、斎藤君の組が巡察から帰ってきたのかもしれません」
「見せてきてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
初めての習字、初めて書いた文字。
早く本人に見せたくて、ちづるはピューッと部屋を飛び出した。

「斎藤さんっ!」
幹部の部屋が並ぶ廊下をはじめと一緒に歩いてくる斎藤を見つけると、ちづるは嬉しそうに駆け寄った。
「どうした、何かあったのか?」
「これ、どうぞ!」
「?」
「山南さんに教わって、書きました」
「そうか……良く書けている」
「ありがとうございます」
ほんのり頬を赤くしてはにかんでいたちづるは、まだやる事があるからとそのままどこかへ行ってしまった。

「……『つ』?」
見上げていたはじめが、不思議そうに首を傾げる。
まだ乾ききっていないうちに手にしてしまった紙は、斎藤の手に渡る前に、垂れた墨で『一』から『つ』に文字が変わっていた。
「……部屋に戻るぞ」
褒められて頬を染めていたあの顔     斎藤はふっと目元を緩くすると、はじめを連れて自分の部屋に戻って行った。


◇◆◇


「おっ、これがちづるちゃんの書か」
夕食時、各々自分の名前が書かれた紙の置いてある膳の前で目を細くする。

「この紙いっぱいに書いてあるところが俺好みじゃねぇか」
「なぁ、俺とか一君のってやたら上手いんだけど」
「そりゃ山南さんが一緒に筆持って書いてやったんだろ。さすがに初めてで『藤』は難しいからな」
「だな。近藤さんのだって二文字目だけやたら達筆だぜ」
「あれ?土方さんの所だけ置いてないですね」
「……煩せぇな」
自分でも気にしていた所を沖田にずばり指摘された土方が不愉快そうに眉を顰めていると、
「あ、土方さん」
広間に入ってきたちづるが傍まで来ると、持ってきた紙をズイッと土方に差し出した。

「これ、どうぞ!」
「お、おお。何だ俺のもちゃんと書いて    

    “士”方

「遅くなってごめんなさい」
「い、いや……」
実に惜しい。横棒一本の長さが足りないだけで、全く別の漢字に変わっている。
「な、なぁ……山南さんは、どうして間違ってるってあの子に教えてやらなかったんだ?」
「んな事俺が知るわけねぇだろ」
どう出るのかと、その場の視線が土方に集中する。

(……ったく)

今ここで正しい文字を教えてやるべきか。否、皆の見ている前でそれはかわいそうというものだろう。
「……ありがとうな。今日はここで飯食ってから帰るんだったな。その墨で汚れた手を洗ってこい」
「はい!」

書道

翌日。
夜遅くに外出先から帰って来た山南が自分の部屋に入ると、文机の上に紙が一枚置かれていた。
『山南』とたどたどしく書かれた文字。

「あんたの分を書くのを忘れちまったから、昨夜松本先生の道具を借りて書いてきたんだとよ」
いつ来たのか。土方が部屋の入り口から、この紙がここにある理由を説明し始めた。
「本当は自分の手で渡したかったみてぇだが、昨夜遅くまで起きてたから今日はいつもの昼寝だけじゃ足りなくて早めに帰っちまったんだよ」
「……そうですか」
「良かったな。あんたのだけあいつが書いたっていう証明が付いてる」
左下にぺたりと押された手形。
山南は腰を屈め、丁重にその紙を手に取った。
『今日はいっぱい字を書かせてもらえて楽しかったです!』
昨夜帰り際のちづるの言葉が、頭の中で甦る。

『書けました!』
これを書き上げた時も、彼女はそう声を上げたのだろうか。
「……どこに飾りましょうかね」
声が聞こえてくる気がしてそっと耳を澄ます山南の手の中で、カサリと紙が音を立てた    

【 完 】











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