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610&hari

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【 名前で呼んでください 】





『藤堂さんなんて堅苦しいのやめようぜ』
名前で呼び合おうと親しげに声を掛ける者もいれば、
『ちづるちゃん、あいつらと一緒に外で遊んでこいよ』
特にことわる事もなくスルッと呼び始める者もいる。

土方のように最初から呼び捨てする者もいれば、沖田や平助、永倉のように『ちゃん』付けする者もいる。
原田のように最初永倉達と一緒に『ちゃん』付けで呼んでいたのだが、いつの間にか呼び捨てに変えている者だって。
いずれにせよ皆呼んでいる部分は同じ、彼女の下の名前。

    ただひとりを除いては。



その日、斎藤は千鶴を呼び止め幾つか用を頼んでいた。
巡察でほつれてしまった隊服の修繕や、土方のもとへお茶を運んで欲しいなど細々とした小さな用事。
「はい、分かりました」
ひとつ告げられるごとに、千鶴は気持ちの良い返事を返していく。
「隊服は今日中に直せば良いですか?」
「ああ。食事の後になってしまっても構わない」
「分かりました。じゃあ私、土方さんの所に持って行くお茶を淹れてきます」
「よろしく頼む」
千鶴が勝手場に向かった直後、
「……!」
斎藤は伝え忘れていた用件をひとつ思い出した。

「雪村」
呼んだ所で返事は無し。
「雪村!」
ひょっとして聞こえていないだけで、まだその辺りにいるのでは    
幾分声の調子を強め、障子戸を開け千鶴の後を追って縁側に出てきたものの、やはり彼女の姿はそこには無く。
「あー、一君。ちょっとこっち来て」
「……?」
中庭で遊ぶ彼らを眺めていた平助が、斎藤に声を掛けてきた。

「どうかしたのか?」
「ん、ほら」
「?」
斎藤にしてみれば、ただ千鶴を呼んだだけ。
全く訳が分からずに、平助に呼ばれるがまま中庭へと目を遣れば    
「……はい」
彼らと遊んでいたであろうちづるが、斎藤を恐々見上げている。
「?」
「一君さ、今千鶴の事呼んでただろ」
「? ……ああ」
それがどうかしたのかと斎藤に目顔で問われた平助は、肩を竦めて小さく笑う。
「ちづる自分が呼ばれたんだと思ってびっくりしてる」
平助の言葉を受け、再びちづるに目を遣れば、相変わらずの困り顔。
まるで彼女の気持ちを表すように耳までシュンと垂れている。


……呼びましたか?



「あの……」
「ちづるは一君に怒られたと思ってるんだ」
「怒る?……俺に?」
「そ。普段呼ばれた事のない『ゆきむら』って苗字の方で」
「……」

『雪村!』

斎藤のように低く落ち着いた声音で呼ばれれば、ちづるでなくても身が引き締まる。
それでなくても滅多に呼ばれる事のない姓の方を呼ばれているのだから、彼女が驚くのも無理もない。
「俺は別に……」
「一君てさ、ちづるの事滅多に名前で呼んでやらないだろ」
「っ、あ、ああ……」

『ちづる』
『ちづるちゃん』

平助達が気軽に呼ぶ中、どうしても出来ない“名前呼び”。
元来人見知りの気がある斎藤にとって、たとえ相手が子供であろうと難しい。
否、相手が子供だからこそ、相手を怖がらせないように注意しなくてはならない分、大変なのだ。
斎藤がどう誤解を解こうかと悩む一方、ちづるはちづるで困っていた。

『馬鹿野郎!口先だけの謝罪だったら言わねぇ方がマシなんだよ』
『……今のすみませんは、何に対して言ったのか説明していただけますか?』

常日頃しんぱち達が土方や山南に叱られているのを目の当たりにしているだけに、ここはしっかり謝りたいところ。
それなのに、悲しいかな     何について叱られているのか、ちづるにはさっぱり分からない。
「えっと……」
謝ろうにも謝れず、ちづるの眉がどんどんハの字に下がっていく。
「……」
「…………」
「あのさ」
ただ見合うばかりのふたり見兼ね、平助が笑いながら口を挟んだ。

「ちづる、そろそろ昼寝の時間だろ。一君布団敷いてやれば?」
「俺が?」
「大丈夫です、自分で出来ます……!」
ひとりでちゃんと出来るというところを見せなくてはと、ちづるが小さく首を横に振る。
「けど、あの布団……ちづるひとりじゃ部屋に運べないだろ?」
「あ……」
縁側の隅っこに広げて干されているちづる専用のお昼寝布団。
確かにあそこから千鶴の部屋まで運ぶのは彼女独りでは無理だろう。
いつもであれば昼寝の時間だと呼びに来てくれるはずの千鶴も、今日は斎藤に頼まれた用事で忙しくしている。

「ほら、一君」
「……分かった」
斎藤が布団に近付くのを黙って見ているちづるにも、平助は優しく声を掛ける。
「ちづるも。一君が布団運んでくれるの、部屋で待ってた方が良いんじゃねーの?」
「……はい!」
怒られるにしろ何にしろ、待たせてしまっては申し訳ない。
ピューッと玄関の方へと駆けていくちづるの後ろ姿を見送ると、平助はやれやれとその場を立ち上がった。

邪魔者は退散。あとは本人達で何とかすべし。
これくらいの些細な誤解であれば立ち会うまでもないだろう。
上手くいくよう祈りながら平助が立ち去った後の縁側には、冬の午後の柔らかな陽射しだけが残っていた。


◇◆◇


「ここでいいのか?」
「はい、ありがとうございます」
直接顔に日が当たらぬよう、斎藤が気を付けながら敷いた布団に、ちづるはトテトテと近づいて行く。
「その足袋はどうした?」
「えっと、雪で濡れました……」
「替えの足袋はあるのか?」
「……ありません」
この事を怒っていたのかと、ちづるの耳が再びペタンと垂れさがる。
彼女の手にした足袋にしばらく目を向けていた斎藤は、自らそっと手を差し出した。

「貸してみろ。起きるまでに乾かしておいてやる」
「お願いします。あの……」
「?」
「足袋を濡らしてごめんなさい」
「っ!」

『次からちゃんと気を付けます』
ぺこりと頭を下げているちづるからは、斎藤の困った顔は見られない。
「……別に俺は怒ってなどいない」
「?」
「さっきは、その……あっちの“雪村”を呼ぼうとしていただけであって……」
「??」
きょとんとしているちづるの目の高さまで、斎藤は膝をついてしゃがみ込んだ。
「先程は驚かせてすまなかった」

『おまえらいつまで喧嘩してんだ。ごめんなさいとお互い素直に謝ったら、後はもう仲直りだろ』

「……仲直り、ですか?」
「ああ……そうだな」 ちづるの顔に笑みが戻り、斎藤もホッと息を吐く。
「その……下の名前で呼んでも構わないか?」
「? はい!」
全く別の名で呼ばれてしまっては返事をするのに困るけれど、ちづるをちづると呼ぶのになぜ了解を取ろうとするのか。
斎藤の事情が分からぬまま、ちづるは元気に答えを返す。
「ちづるって呼んでください!」
「……ああ。ちづる、時間になったら起こしに来てやる。それまでしっかり眠るといい」
「はい!」

ふたりの間の     主に斎藤の中にあった壁が、優しく一枚取り除かれる。


その日、松本医院までの帰り道。ちづるは斎藤とはじめに挟まれて、楽しそうに笑っていた。











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