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610&hari

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【小さな親切大きな……?】



「おはようございまぁす!」
今日も朝からちづるの元気な声が屯所の中に響き渡る。
「ああ、おはよう。暑い中よく来たね」
出迎えた井上の、ちづるがせっせと履物を脱ぐ姿を見つめる眼差しが温かい。

「今日は皆でかくれんぼするんです!」
「そうか。でも台所や歳さんの部屋に入ったりしたらいけないよ」
「はぁい!」
ちづるは気持ちの良い返事をすると、へーすけ達の待つ縁側に一目散で駆けて行った。


最近滅多な事では泣かなくなったちづる。

以前は些細な事でぽろりと涙を零す事も多かったのだが、今では顔からビターンと転んでもちゃんとひとりで起き上がれるし、夜中に真っ暗な部屋で目が覚めても、頭の上までスッポリと布団を被り皆の顔を思い浮かべて頑張っている。
自分が泣くと周りの者が困ると気づいたのか、はたまた男所帯で過ごす時間を重ねているうちに、本当に芯の強い子になったのか。
いずれにしろあまりかまってやれない土方や山南達は、良い傾向だとこの変化を密かに喜んでいた。

……はずなのだが。

◇◆◇

「ちづるおはよーっ!」
「おはようございます!」
へーすけ達と合流したちづるは、ゴソゴソと首から提げていた巾着袋を引っ張り出すと、中身をころりと手のひらの上に取り出した。

小さな小さな白い欠片。
昨夜、初めて抜けたちづるの歯。

「お、ちづるもとうとう歯が生えかわるようになったのか」
「はい!晩御飯食べてたら抜けました」
「ちづるぅ、おまえ泣いたんだろう」
「泣いてないもん!」

『本当に新しい歯、ここに生えてきますか?』
寝る間際までに何度も松本良順に確認してしまったのは内緒。ちづるは得意そうに胸を張る。

「おまえらこんな所に集まって何やってんだ?」
これから稽古を始めるのか。竹刀を担いだ永倉が、原田や平助と共に中庭を抜けてやってきた。
「ちづるの歯が初めて抜けたんだって」
「へぇ……どれどれ」
上から覗き込んだ永倉は、ちづるの手のひらに小さな歯を見つけると、ヒョイッとそれを摘み上げた。

「虫歯のねぇきれいな歯じゃねぇか。上と下、どっちの歯が抜けたんだ?」
「下のここ、です」
なぜそのような事を尋ねられているのか判らぬまま、ちづるは抜けた部分を指し示す。
「下の歯か。よぉし、見てろよ……それっ!」
「っ!!」
永倉に投げられた歯はきれいな弧を描きながら、あっと言う間に隣家の屋根まで飛んでいった。
「さ、これでもう大丈夫だからな」
良い事をしてやった     永倉は満足そうに笑いながら、原田達と稽古場に行ってしまった。

「あ、あのさちづる……」
「……歯、なくなっちゃいました」
なんとも言えない気まずい雰囲気。
ちづるは中身のなくなってしまった巾着袋をキュッときつく握り締めた。
「お、俺探してきてやる!」
「待ってしんぱっつぁん、俺も行く!」
「まぁ二人とも落ち着けって。んなもん投げた本人に探させりゃいいじゃねぇか」
「だな。おい、へーすけ稽古場行くぞ!」
しんぱち達の姿が見えなくなった後、残されたさのすけは為す術なくちづるの隣に佇んだ。

まだ千鶴ちゃんに見てもらってないのに。
ここにいないとしぞうさん達にも見せたかったのに。
いつもおいしいご飯を作ってくれる源さんや、お菓子をこっそり分けてくれる島田さん     色んな人に見てもらいたくて、松本先生にこの袋を首から提げてもらったのに。

「歯……ないよ……」
我慢もここまで。
久しぶりの涙がぽろりとひと粒零れると、ぽろぽろぽろぽろ……後を追うように次から次へと溢れ出し。
「う、うわああぁぁぁぁん!!歯、ないよぉ……歯なくなっちゃったよぉ……!」
ちづるは大きな声で泣き出した。

「煩せぇな。一体何の騒ぎだ」
「歯が……ちづるの歯がぽーんって……」
ため息を吐きつつ仕事部屋から出てきた土方に、ちづるが泣きながらこの悲しい現状を訴える。
「ったく……泣いてちゃ分からねぇだろ」
足下に縋りついて泣くちづるをペリッと引き剥がすと、そこにはポツポツと涙の痕。
「新八っつぁん連れてきたぞーっ!」
ヒックヒックとちづるがしゃくり上げている間に、へーすけ達が永倉を引っ張りながら戻ってきた。

歯

「新八。ちゃんと説明してやらねぇおまえが悪い」
「だってよ、まさか知らねぇとは思わねぇだろ?」
「初めて歯が抜けたこいつが、そんな言い伝え知ってるわけねぇだろうが」
「……だな。っつーか、今まで同じようにしてやってんだからおまえらが説明してやればいいじゃねぇか」
「説明って?“言い伝え”って何だ?」
「……俺らの歯は抜けるといつも庭に投げ捨ててたんじゃねぇのかよ」
「だな」
「馬鹿、捨てるわけねぇじゃねぇか。……ほらちづるちゃんこっちに来な」
自分達の好意が彼らにとってその程度の認識だったと知った永倉は、大袈裟にがっかりした素振りを見せながら、優しくちづるを抱き上げた。

「上の歯が抜けたら下に、下の歯が抜けたら上に向かって投げると、次に生える歯は立派なヤツになるって言い伝えが昔からあるんだよ」
「下の歯が抜けたら上に……?」
「ああ。だからさっき俺はうんと高く投げたんだ。ちづるちゃんの次に生えてくる歯が立派になりますように……ってな。ちゃんとした歯が生えなきゃ飯を食うにも不便だろ?」
永倉の話に聞き入るちづるに、隣に並ぶ土方も穏やかな声音で話しかける。
「新八が悪ふざけで投げたんじゃねぇって分かったか?」
「はい」
「さっきはちゃんと説明してやらなくて悪かったな」
縁側に降ろされたちづるが、泣きはらした顔で永倉をじっと見上げる。

「ん?どうした」
「……また歯が抜けたら投げてもらえますか?」
もう投げてもらえないかもしれないけれど、それはあんなにいっぱい泣いてしまった自分のせい。
そこまで覚悟して尋ねてきたちづるに、永倉は顔中くしゃくしゃにして笑いかける。
「おう、任せとけって。上の歯だって下の歯だって幾らでも俺が投げてやるぜ。なんだったらほら、ゆびきりするか?」
「はい!」

やれやれといった土方の表情。
ホッとした永倉の顔。
自分達の歯の思わぬ言い伝えに驚いたままのしんぱち達の顔。
永倉とちづるがゆびきりげんまんする光景を、彼らはそれぞれの表情を浮かべ眺めていた。

◇◆◇

    数日後。
「スゲーッ!はじめ君ってこの間も抜けたばっかじゃん」
いつものようにちづるが屯所に遊びに来ると、待っていたのは抜けた歯を手にしたはじめを中心とした彼らの輪。
「はじめ君、下の歯が抜けたんだって」
そうじに説明されながら輪に加わったちづるの頭に浮かんだのは、先日永倉から聞いた言い伝え。
今こそ、普段優しくしてくれる彼にお礼をする絶好の機会。

「任せてください!」
「……?」
丸っこい手ではじめの歯を掴むと、
「えいっ!!」
掛け声ばかりが勇ましく     千鶴の手から離れたはじめの歯は、ひょろひょろぽてりと地面へ落下。
「ちづるさん、向こうで雪村君が探してましたよ」
「はぁーい!」
顔を出した島田にそう声を掛けられると、ちづるは意気揚々と立ち去った。

「「「「「………………」」」」」
痛ましそうな視線を全身で受け止めながら、はじめは地面に落ちた歯を拾う。

※黄色い鳥は、お話に全く関係ありません。ただのオプションです播(・ω・*)

「……歯、真っ直ぐ生えないかもよ」
「だな。真っ直ぐどころか出てこねぇかもしれねぇぞ」
「ちづるには悪いけど、これ投げ直してもらった方がいいんじゃねぇか?」
「はじめ君、ほらあそこ!」
へーすけの声に顔を上げると、向こうから斎藤がやってくるのが目に入った。
「良かったじゃない。投げ直してもらってきなよ」
「……ああ」

よろよろと斎藤の元へ駆け寄るはじめの姿を見送りながら、
『これからはちづるの前で歯を見せるのはやめよう』
彼らは固く心にきめたのだった    



【 完 】











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